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全然覚えられない [倫理学]

今日の朝勉は『倫理学』。
ダメだ!全然覚えられない。
頭のメモリー増設するか、wifi機能を付けたい。
今回ダメなら暗記系試験科目は諦める事にしよう。



午後から静岡に1泊の出張です。
試験前だと言うのに・・

カント、定言命法 [倫理学]

今日の朝勉はカントの「定言命法」に取り組んだ。

 カントは、普遍的法則に従う格律(個人が、法則に従って行動する原則、原理)が、人間の意思に向かって「なすべし」とする強制を命法と呼んだ。

 命法には仮言命法と定言命法があり、カントは定言命法を善しとした。
 1.もし行為が単に別の何かのための手段としてのみ善いのであれば、命法は仮言的である。すなわち、ある目的を達成するための手段を命じることを「仮言命法」という。
 2.行為がそれ自体において善いと示され、それゆえ、それが理性と一致している意思のために必要であるならば、命法は定言的である。つまり、いかなる場合も無条件で「〜せよ」と命じることを「定言命法」という。 

 カントは定言命法を五つの形式で以下のように説明している。
 1.君の格律が同時に普遍的法則となることを、君がそれによって欲し得るところの格律に従ってのみ行為せよ。
 これは、定言命法の形式の基本形で、行為が則るべき個人の格律が果たして道徳性を持ち得るかどうかを決定するための法則

 2.君の行為の格律が君の意思によってあたかも普遍的自然法則となるかのように行為せよ。
 1の基本形式から導出された形式。人間は傾向性を持つゆえ道徳性を守れない場合があるが、自然法則と同じように自由意思によって守られるべきという法則 自然法則の命法

 3.君自身の人格ならびに他のすべての人格に例外なく存するところの人間性を常に同時に目的として用い、決して単に手段としてのみ使用しないように行為せよ。
 自分およびすべての他者の人間性を平等に尊重すべきであり、人間性を目的として用いるのは良いが、手段としてのみ用いてはいけないという方式 人格の命法

 4.意思が自分の格律によって自分自身を同時に普遍的律法を行うとみなし得るようにのみ行為せよ。
 個人が傾向性に従って私的な立場で立法するのではなく、公的な立場から立法することを命じる普遍的立法の法則 他律ではなく自律

 5.自分自身を同時に普遍的自然法則たらしめるような格律に従って行為せよ。  
 そして最後に、「万人が守れるような行動原理(普遍的自然法則)に従って行為せよ」と述べている。

カントはやっぱり難しい。 

最高のフルートは誰が奏でるべきか? [倫理学]

 「最高のフルートは最高のフルート奏者に与えられるべきである。」とアリストテレスやベンサムは答えるであろう。

 しかし、その理由はカント、アリストテレス、ベンサムなどの功利主義者たちではそれぞれ違う。
 ベンサムなどの功利主義者たちの理由は、「最高フルートが最高の奏者によって演奏されることにより、人々に最大の利益をもたらすから」と答えるであろう。

 「目的論的世界観」を持つアリストテレスの理由は、「最高の音楽が奏でられるのが、フルートの持つ本来の目的だから」と答えると思う。
 その目的こそが「最高善」であり、ここでは「最高の音楽が奏でられること」であり、フルートにとって、それが望まれることであり、幸福であるからである。

 カントの倫理観は「行動の動機」が大切である考えているので、「フルートを一番演奏したいと思っている人に与えられるべき」とカントは答えたであろう。
 しかし、カントはその「一番演奏したいと思う」動機が、演奏によって得られる金銭や賞賛などのためであってはならないという。そのことは、すなわち欲望や義務に支配されるため、その奏者は自らの意思で演奏しているのではないとした。「ただ単に、一番演奏したいと思う」人に与えるべきとカントは言うであろう。

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アリストテレスの倫理観 [倫理学]

 アリストテレスは「すべての技術も探求も、また、行為も選択もみな同じように何らか善いものを目ざしている」と述べており、これは、彼の哲学の考え方である「目的論的世界観」と一致している。

 アリストテレスは「善いこととは何なのか」について、人間のあらゆる活動の最終目標は幸福であると考え、これを「最高善」とした。なぜなら、幸福はただ「願望」される他にないものであるからである。
 最高善は、第一に大所高所にたつ最高の能力が追求する対象であるはずであり、第二に最高善はそれ自体として望まれるはずであり、他のものはこの最高善の手段として望まれるはずであるというのが最高善の条件である。そして、アリストテレスは「幸福とはそのものがもっている本来の能力を発揮すること」にあると考えた。

 アリストテレスは、人と獣の違いを、人間だけが持つ固有の能力、「理性能力」で示した。そしてそれを、真理を探究する知性の働きにかかわる理論理性と人間性や性格の良さにかかわる実践理性の二つに分けた。しかし、それらの理性は素質として人間に与えられるが、最高の状態で与えられているわけではない。理論理性は、教育によって訓練をすることにより、成長発展し、実践理性は、その行うべき道筋を繰り返し行い習慣化させることにより身につく。このようにして、善いことを実現するための適切な手段を決定する正しい思量と、正しい欲求との結びつきが恒常的に働くようになり、このような状態を「知慮」と呼ぶ。

 人々にとって何が望ましいことなのか、アリストテレスは「中庸」という言葉で説明した。人間はさまざまな状況の中で感情が変化したり、欲求を持ったりする。アリストテレスは、このこと自体は自然な本性によるもので悪いことではないが、大切なのはさまざまな感情や欲求をコントロールすることであり、その習慣を得ることによって、実践理性が身につくと言っている。すなわち、実践理性は感情や欲求を不足と超過の中間である中庸に保つことが出来ることによって生まれる。

 このように「最高善」を目的とし、「知慮」をもって行動し、それは「中庸」でなければならないというのがアリストテレスの倫理観であり、彼の哲学「目的論的世界観」と一致する。


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人格ってなんだろう? [倫理学]

シェーラーの「人格」が、何が何だかわからなくなってきた。
愛作用の中に人格が現れ、人格の作用そのものが愛である? 
堂々巡りになってしまった。

カントは、人格こそ究極の目的的存在であるとし,決して物(物件)のように手段として利用してはならないという。
自らが自律的な人格であると同時に他者も目的的存在である人格となり、これは他者の人格尊重ということである。
カントのこの立場は人格主義といわれる

人格ってなんだろう?

サプライズ (倫理学レポ合格) [倫理学]

オリエント考古学のレポートも仕上げないまま飲みに行ってきました。
ほろ酔い気分で家に戻ると、大学からレポートが一通返却されてきていました。
今戻ってくるレポートは例のあれ「倫理学」しかありません。
初回に出した時にも手応えはあったのですが結果は「D」の辛口科目です。
もしかしたら、またもや「D」かもと、恐る恐る開封すると、そこにはなんと「A」の文字が[わーい(嬉しい顔)]
これで、次回の科目試験にも力が入ります。
倫理学レポは慶應通信を始めてから、2度目にD評価をもらった科目です。
正直、試験で落とされるよりレポートでDもらう方が落ち込みます。
いろいろな文献を参考にしながら、与えられた課題に対する答えを自分なりにまとめた結果を否定されるような気がするからです。
私にとってDをもらった倫理学は難関の部類に入ります。
なので、これから倫理学に取り組む人のためにちょこっとアドバイスをしておきます。

Dをもらったレポートも、Aをもらったレポートも、自分の言いたかったことは同じでした。
しかし、D評価のレポートは表現のしかたがまずかったのでしょう。
講評欄にはこのように書いてありました。
「レポートの基本となる構成を練ってください」
この基本とは問題提起→論証→結論というレポートの基本ということです。

そして、その基本の形式にまとめあげたレポートはA
講評欄にはこうかいてありました。
「非常に高度なレポートに仕上がっています」

DのレポートもAのレポートも言いたかったことはほとんど同じ。
なので、結論部分はほとんど同じレポート。
しかし、仕上がりを見るとやはり、感想文とレポートの違いくらいの差が見えます。
これから、卒論に取り組んで行くことを考えると良い経験になりました。

倫理学のレポートは、レポートの基本となる構成で書くことが大切です。




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倫理学が「D」な訳 [倫理学]

1月科目試験結果、「倫理学」は予想通りの「D」評価となりました。
自分でも理由が解っているので、まったく悔しくありません。
テキスト巻末の問題集から出題されるので、簡単なような気もするのですけど、よく考えるとテキストすべてを覚えておかないと解けないということになります。
合格出来ない第一の理由とは、そこにあります。
オッサンの「ザル頭」では一つ覚えると、残念ながら一つ忘れてしまうのです。
これを繰り返して、ようやく覚えていくわけなのですが、その修行が足りないのですね。

アリストテレスはこういっています。
「実践理性は繰り返し行い習慣化して身につけるのだ!」と
私も倫理学を繰り返し学んで習慣化させなければ合格出来ないと思っています。

さもないと「倫理学が不合格」=「倫理の無い人」
すなわち「不倫男」になってしまいます[ふらふら]

とういことで、次回科目試験は今書いているレポートを提出して、「オリエント考古学」と「倫理学」の2科目に的を絞るつもりです。
その後の学習計画は、明日発表となる「Eスク」の結果次第です。

「倫理学」 再レポ提出 [倫理学]

「今日中に倫理学の再レポ終わらせるぞ!」と自分にプレッシャーをかけているが、ついついさぼってしまう。
それもこれも人間の弱さなのか?実践理性の鍛錬が足りないのか?

そうこうしているうちに、前半のアリストテレスの部終了。
カントに入る前にちょっと休憩。頭を切り替えをおこなう。

後半部分のカントの倫理観についても完成。
久しぶりにエンジンがかかったと言うか、気合いが入りました。
手掛けてみると思ったより筆が(タイプが)進みました。 
論点が間違っていなければ合格するはずなのですが・・・
いつまでもこれに引っかかっているわけにはいかないのでプリントして提出してみます。

今回の再レポに一番役立ったのは、マイケル・サンデル教授のDVD鑑賞でした。
難しいとされる、アリストテレスもカントも、現代の事件を例えに丁寧にレクチャーしてくれます。
倫理学でお悩みの方は必見だと思います。

再レポの評価を受けたのは、論理学に次いで倫理学が二回目。
でも、論理学は再提出しなかったので、再レポは今回が初提出でした。
レタースケールがないので、切手をいくら貼ったら良いのか分からないので、最寄りの郵便局に行ったのですが、今日は土曜なので営業していませんでした。
しかたがないので、10円分足して25円貼って投函。
最初からこれにしておけば良かったです。
10円ケチって片道20分歩いて郵便局に行った自分が悲しい。

今日のノルマも達成したことだし、再レポ完成祝いと、合格を祈願して!、ビールで乾杯!

古典には魔物が棲んでいる [倫理学]

twitterで宣言した通り、午前中は睡魔に襲われ眠ってしまいました。
やはり哲学本、特に古典には魔物が棲んでおります。

そんなんで、倫理学の「カント」と「アリストテレス」はぜんぜん進展がありません。

今日はクリスマスイブイブ、特別にスカイツリーが点灯しています。
我が家の窓からも先っぽだけですが見えます。

倫理学再レポ突入 [倫理学]

倫理学再レポ突入、まずアリストテレスとカントはそれぞれ何を問題にしたのか?
まず、これを定義しなければならない。ぼんやりとはわかるのだが、モヤモヤしている。
前回のレポートでは「まず問題を定義して、それに対して論ぜよ」と指摘されている。
この問題の定義がわかれば解けたのも同然なのだが..

カントが問題にしたのは、「正しい行動とは何か?」
その行為の動機なのか、結果なのか・・・
「嘘をついてはいけないのは、嘘をつくことが悪いからダメなのか、それとも、うそをつくことによって誰かが傷つくからなのか」   
「自分が正しい人間でありたいから、こうするのだ」ではなく、「ともかくこうしなければならないから、こうするのだ」ということなのだが、これがどこから導かれてきたのか忘れてしまった(汗;)

こんなことつぶやいている場合ではない

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